最近、ニュースになっている児童虐待。
不審者の犯罪よりそういった近親者、両親、親戚などから子どもが被害にあうことが実際は多いらしい。
子供もいない私には確かに他人事ではある。
昔、昔の私の子供の頃は、しつけと称して今でいう親による暴力は行使されるということは日常的なことであった。
ただそこには、親の責任での教育的な愛であった。
食事を全然与えない。
アザが耐えないなど人間として非道と思われることは、私には考えられない。
そういった人を産む教育、社会になったということなのだろう。
もしくは過去はそういった報道がされなかったので気が付かなかったのだろう。
私は以前、養子縁組を推進するて提案を区長を囲む会でした。
私は地元の現役区長が区民の声を聞く会を開いた。その時、私は三ツの提言とお願いしたその1つは養子縁組の推進のお願いでした。
その時は区長は全く発言はしなかった。
無視されたか答えなかった。代わりに区の役人か誰かは分からないが私のお願いを断った返事をした。今までトラブルがありそんなことは出来ないというお答えだった。
役人ならの断り文句を返してくれた。
不景気、務め先の人間関係、経済により、個人は余裕が無くなる。
全く給料が上がらず、仕事の負担が多い今、現在、子育てが出来ない大人は多くなることが予想される。
余裕のある両親に一時的でも育ててもらう仕組みが求められる。
Appleの創業者、スティーブ・ジョブズは両親が貧しく、養父母に育てられている。
大学を出してもらうことが条件だった。
これは実際はできなかったがアメリカでは多いらしい。
子供より、親を教育する必要がある。
ただ人間性をどこまで教育出来るかは限界がある。