No.6 ニューヨーク(1)
2003年6月23日成田をでて帰国は2003年7月02日までの小見10日間までNYにいった。
2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センタービルで911のテロ事件があった。
元マッキンゼーのコンサルタント大前氏は40回くらいニューヨークは事務所があるので行かれたと昔本で読んだ。
私は初めてのニューヨークでそれが現時点で最後の1回だった。
同じニューヨークで確か4泊4泊で別のホテルを予約した。
チケットとホテルの予約だけだった。
空港の飛行機を降りるとき前の女性はキーボードを棚からおろしていった。
世界中からミュージシャンがいっているんだと感心した。
NYは碁盤のように作られていた
横をはしる道路、縦をはしる道路、どっちがどっちだか忘れたがストリートとアヴェニューになっていてわかりやすかった。
中国人、ベトナム人、スパニッシュの町があり、そこでコミュニティとか食がたりるようになっていた。
宝石、ブランドもんを扱うストリートがあった。
当時、まだ東京には屋根のない観光のデッカーバスはなかったようなきがする。
観光のスポットはいくつもあった。
ついた次の日、バスに乗ってエンパイアステートビルに登った。
言葉が足りずに観光記念写真を撮られて少額ぼられた。
おのぼりさんはボラれるから注意です。
ニューヨークのメトロポリタン美術館、グッゲンハイム、博物館は一日かけた。
ミュージカルはケロヨンという子供向けはみたような気がするが歌は初めて見た。
日本では唐十郎とかアングラ劇は見てはいた。
ニールサイモン脚本、ウディアレンの映画などはよく見ていた。
タイムズスクエアにほぼ毎日いった。
有名なのは劇場まで行ってチケットを買った。
あとはチケットと呼ばれる赤いショップで割安な当日券を買ってみた。
結構昔なので忘れているがほぼ毎日昼と夜、日曜日は夜だけ??だったかな。
ミュージカルはこれは一番という目玉があって構成、宣伝されていた。
歌だったり衣装だったりこれは一番という宣伝があった。
劇場街はそれこそ40番台?のストリートに集中していて行き来がしやすかった。
日本ではNHK BSでアクターズスタジオという番組が放送されていた。
観たミュージック、劇
1.マンマミーア(アバの曲)
2. レント
3. シカゴ
4. 42nd street
5. プロデューサー【別の場所かもしれない?】
6. アイーダ
7. ウィー・ウイル・ロック・ユー(クィーンの曲)
8. ムービング アウト(ビリー・ジョエルの曲)
9.プレーボール(劇)
他にも見たのだが思い出せない。
ニューヨークのミュージカルは白人、黒人、ヒスパニック、アジア人を大体混ぜていた。だんだん舞台装置は液晶を組み合わせてのようなのが流行りだして大きな装置を使わなくなった。
★シカゴは日本でももう一度六本木の劇場でNYブロードウェイの講演を見たがNYの雰囲気はだせなかった。
NYのシカゴは長期の講演では劇場が専用の作りになっていた。
座った席にアンティークなスタンドがあり、にシカゴのちょっと古い時代の雰囲気を出すように作られていた。
たしか生バンドが演奏していたと思う。
のちに山の会で劇場などの照明の会社の役員の人に出会ってNYの劇場の照明、舞台装置の話をしたところ最高の技術がつかわれているそうだった。
劇場内は公演中は写真が撮れなかったので残念ながら写真がない。
当時の写真があるのでまた次回
★プレーボール(劇) とかいう題だと記憶している。
アジア人は日本人で日本語を劇の中でしゃべっていた。
わかったのは俺だけだと思う。
シャワールームのシーンは9人の男性が素っ裸で天井から雨のような水をあびるシーンがあった。
★42nd street
たしかステップ、ダンスなど見どころのミュージカルだったと思う。
★ ウィー・ウイル・ロック・ユー はロンドン、東京で見たかもしれない。
この時見たのは遠い未来音楽が為政者に禁じられていた。
それを音楽が救ったというストーリーだったような気がする。
★クラッシクのアイーダのミュージカルの焼き直し。
ストーリーは確か現代の男女の話からサンドイッチ形式で過去のエジプト時代の話に導入した。衣装、聞きなれたクラシックは癖のなく見られた。
★プロデューサー 大がかりな仕掛けを使ったびっくりがあった。
★レント 歌が良い。同性愛の讃歌のようなミュージカル。
機械的な大道具とかで場面転換したりしていた。