『Sound Breaking⑤』(ビート)

WOWOWで放映していた音楽ドキュメント、エピソード5は原題は"FOUR ON THE FLOOR"だった。4つ打ち、バスドラムが一小節に4分音符を4回均等に叩く。テクノ、ダンスミュージックを言う。

人のアドレナリンをビートが刺激する。

最終的な今のコンピュータを駆使したEDM (エレクトロ・ダンス・ミュージック)は人をダンスさせる。

 

躍動させる歌手の例

ジェームズ・ブラウン

 

ビオンセ

 プロデューサー、作曲家は南部のリズムを入れていた、

ゴスペルにはブギウギにたリズムがある。

スピリットを感じるのにビートが入った。

 

○リトル・リチャードやその時代の黒人ミュージシャンは南部のリズムをサウンドに入れた。リチャードはビートを感じさせるため、2つのドラムキットを使っていた。

1960年代モータウン・レコードが牽引する。

 

スモーキー・ロビンソンモータウンの誕生に立ち会っていた、

ジェームズ・ジェマーソン、ベーシストは、8小節のリズムか刻んていた。

 

ジェームズ・ブラウンは60年代後半にファンクを作った。

「パパのニューバック」でバックビート、ギター、楽器をパーカッションのように鳴らした。

 

カルロス・サンタナはロックにラテンのリズムを入れた。ウィリー・ボボにロック、ラテンののりを加える。

 

1970年代からディスコは、黒人、同性愛者、様々な人々がビートで繋がることができた。

ドナ・サマー

 

ナイル・ロジャース(シック)

ヒッピーが集うグリニッジビレッジ。

グルーブしたダンス音楽を目指す。

 

ビージーズ

初めはR&Bのバンドだった。50年代オーティス・レディング、黒人音楽を聴く。映画から演奏が変わる。ダンス曲を作った、ドラムマシンのループを2インチのテープを使って落とす。

「サタデーナイト・フィーバー」はビージーズサウンドでディスコ音楽にサントラ盤で最高の売上をたてた。

ディスコは、同性愛者、マイノリティー、人種の境がなく、セレブたちがリムジンでつける宴になっていた。セックスて、ドラッグ、70年をしめていた、スタジオ54。

4ビート、8ビートの解けないループ。

1979年にディスコの反対運動が起こっていた。ディスコ嫌いなDJ(グレッグ・)が球場にディスコのレコードを待ち寄らせ燃やした。

ディスコ反対の運動は猛烈な暴動まで発展した。

 

ナイル・ロジャースビージーズは、プロデューサーになる。新たな音楽を作った。

デビッド・ボーイ、ダイアナ・ロスデュラン・デュラン、INXS、マドンナ、バーバラ・ストライザンなど彼らのプロデュースがあった。

クラブ

9 時くらいから朝4時くらいまで、何千ものダンスフロアがあって何千人が踊っていた。

リミックス

ダンスフロアで3分の曲を伸ばして8分間位に伸ばす。

○マドンナ

クラブキッズ。ほとんどのNYのクラブで歌った。

 

リミックスが上手いDJに曲を作ってもらう。

リンドラム、ドラムマシン、デジタルシンセサイザーを駆使し曲を作ってヒットした。

1984年、シングル『ライク ア バージン』

プロデューサー、な

クラブは音楽の実験場、客がのる曲がすぐわかる。

□リンドラム、TR-808DMX

プログラム出来るようになった。

 

□レイブ ダンスミュージックのイベント

ハード、アグレッシブなダンスミュージック。。

 

□80年代、ハウス、テクノ、ヒップホップが出てくる。

○モービー Moby

ハウス、テクノ

ブルーノ・マーズ

 

躍動する心臓のうごきは120だ。

新たな創作者は、新たなリズムを追求する。

 

 

 

▲振り返り▲

『サタデーナイトフィーバー』の後で暴動がおきていたのは、知らなかった。

そういえば、スター・ウォーズは続編、続編が出来る。けれども、サタデーナイトフィーバーは、のにあれほどヒットしたのに続編がないのはそんな事があったのかと今回知った。